隣の芝生は‥(-ω-)/

ヤマハは その後ラケット事業から撤退してしまった( ;∀;)

FX後のラケットについては 選んでは失敗 選んでは失敗‥。どうもYONEXと相性が合わなかったらしい‥。(ひょんなことから出会った モアスポーツというバドミントン専門業者さんに ラケットを頼ることになるのはまだまだ先のこと。)

お教室も最後の頃 私の中で 昭和のバドミントン 平成のバドミントン という区別ができ始めていた。その頃 クラブを立ち上げることに立ち会い 初代代表をした。お教室出身者で初心者ばかり 私たちはお教室出身者のクラブとしては後発隊だったので 先発隊への意識はクラブ員には強かったと思う‥。「良いなぁ‥向こうにはコーチもいて 部員がたくさんいて‥」ことあるごとに 隣の芝生が青いことに 指をくわえて会話していたような気がする‥。

先発隊は 「高学歴・自宅が持ち家」が条件だという噂が立ち 「え~なんで!」とびっくりしたことがある。噂だけで さすがに事実を確かめたことはなかったが そのくらい対抗意識が強かったのだと思う。(後に アパートだと せっかく上手くなっても引っ越ししてしまうから‥という理由を他のクラブから聞いたことがある。)

クラブをやりながらお教室で勉強していたが お教室以外でも教えてくれる人が時々いて ある時に「初期動作」という言葉を教えて頂いた。また バックハンドは はね上げやスマッシュレシーブの時に ラケットを縦に振る ということも見て学んだ。

極めつけは スマッシュレシーブした先生(元世界チャンピオン)の目が 「上がって行くシャトルについていかない」ことを発見したこと(*^^*) 

しかし どれもクラブでは受け入れてもらえなかった。信じてもらえなかった(◞‸◟)