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窓のない部屋

出口の見えない思考の螺旋 窓のない部屋は臆病者の住まい。

雲に覆われた風景の中であの雲の後ろに本当に山があるのか 自分の記憶にあるのは幻ではなく確かなものなのか そういったことにすら目を向けたいとも思わない臆病者。

 

目に見えない感染症は 昔もあった。「ペストという小説にかかれている」読むべきか?

感染症は人と人のつながりを断つ。

つながりがないと生きていけない人間は 目に見えぬウィルスというものを自覚がないまま他の人元に運び 感染症を広げる。 

 

人為的なウィルスだという説もある。疑えばきりがない。刃を向ければ否定は強く出るだろう。

 

オリンピックは 夢の舞台だった。パラリンピックは自己実現の発表の場だった。支えてきたスタッフ 期待してきた応援者 選手のみではなくすべてを 感染症の出現が奪った。

 

子供たちから日常を奪った。歳とった人から自由を奪った。大人たちから仕事を奪った。そして生活を奪った。

我々のささやかな楽しみを奪った。

武漢

武漢という都市は 遠いと思っていたら大間違えだった。

武漢で始まった新型肺炎 海の向こうだったはず。気がつけばもう回りは すべて武漢から来た肺炎で混乱している。

罹っても症状がない人が多いというが 病床が足りなくて突貫工事で作った病院ですら直ぐに満床となり 病院なのか良くわからないが廊下に寝かされている患者の映像がテレビに流れているのを見ているうちに 掘りは埋められていた。

ダイアモンドプリンセスという豪華客船だったものが たくさんの感染者を乗せ横浜港の手前大黒ふ頭に接岸する。船内には「一生の思い出に」と奮発して船旅に出た年配のお客が多かった。接岸しても下船の許可が出ず2週間という根拠がよくわからない時間が提示され 人々は感染の恐怖に慄きながら後味の悪い夢の続きを体験する。

それを見ていた世界各国は対応の悪さを指摘するものの 具体的にどうするのが正解なのかもわからないまま学者の議論と政治家の思惑に時が流れた。

その中で確実に感染は広がり 緊急事態宣言が出されても爆発的に増えていないというだけで 芸能人の死がテレビやネットで伝えられるようにまでなってきて ようやく国民は自分に降りかかっている災難の怖さを知り始める。

すべて 武漢から始まったのだ。この国の都市ではない武漢から。

 

抗体

全国民の6~7割程度が抗体を持つまで感染は広がり続けると言われている。

「早くみんなで感染してしまえばこれは終わる」そう信じて自分の命を差し出す愚か者がたくさんいる?いや自分の命ではなく他人の命だから言えることだと気がついていない。自分は感染しても無症状であるという保証は何も無いのに。無知としか言えない。

スポーツクラブ

ジムとも言われるが総合的スポーツクラブ。会員制で気軽に運動でき仲間が集まる健康のための施設に体調が悪いのに来館してプログラムに参加し他の参加者と濃厚接触 ジムの閉鎖を引き起こした。海外旅行で感染しPCR陽性を知っていての行動だという。各地に普及し始め健康志向の高齢者の行き場となっていたが閉鎖を余儀なくされている。営業できないので会社がつぶれてしまうところも出てくるだろう。

屋形船

海外から帰国して実は感染していたのに自分の状況がわからず 仲間に感染させていった例が多かった。屋形船の宴会。楽しかった宴会のつけは大きい代償を伴なった。

新聞によれば 最初の屋形船の一件は感染源がわからないことを隠すために捻じ曲げられた事実として作られたクラスターだった可能性があるということでした。中国からのお客はいたのか?タクシーは乗せていたのか?曖昧なまま悪者にされた可能性があると‥。

ライブハウス

誰かが持ち込んだ。しかも熱狂的なお客は他の会場をハシゴしてまでウイルスをばらまき続けた。音楽をじかに楽しむ密閉された窮屈な会場で声を上げ盛り上がった。感染源とわかるまで繰り返し行われ わかってからもさらに続けられた。快楽の代償はライブ禁止だけには止まらなかった。

飛行機に乗るウィルス

中国や日本のダイアモンドプリンセスへの対応の悪さを一見して笑っていたような国々に ウィルスは乗り込んでいった。先進国と言われているはずの イタリア・フランス・イギリス・アメリカなどがすぐに悲鳴を上げ始める。医療体制の崩壊で助かるはずの人々が次々に犠牲になり 亡くなられた方たちのむくろがそのまま放置されているなどの報道もあった。先進国としたら絶対に他国に見せたくないそういうむごたらしい亡くなり方をしている感染者は今もなお増え続けているという。

マスク

朝早くからドラッグストアの前に並んでいる高齢者の列。あれは密そのものではないか?本当に必要としている人に届かないマスク。偶然手に入れた人もあれば何度並んでも買えないと困っている人もいる。買っても転売するために並んでいた人もいるという話。

またマスクをしないで買い物に出かけ道で井戸端会議を密に行っている高齢者。これはいったい何なのだ?

マスクが手に入らない人のためにひと家庭2枚の布マスクを配るという総理大臣。巨額の費用を投じて始まったばかりなのに不良品が多数で回収しているという。こんなにひどい国だったのか?

手作りマスク

売っていないから仕方がない。高いから仕方がない。布製のマスクが見直されガーゼの生地・ミシン糸が売れ切れです。ミシンを稼働させて縫い上げたマスクが色々カラフルです。

アベノマスク

ずいぶん経ちますが届きません。いまさら要らないよという感じですが政府関係者は「アベノマスクの影響でマスクが買い占められなくなって市場に出回って来た」誰がそんな風に思うのか?

持病

持病がある人が罹ると重症化し命が奪われるという。夜の街へ出ていって「俺はコロナだ!」と言って従業員や他の客に感染させた道ずれオジサンは本当に肺炎で亡くなってしまった。がんで療養・糖尿病・呼吸器系の病などが危険だと言われているが老人はなにかしら持病を持っているものだ。高血圧・心臓病なども万が一発作が起きた時にタイミング悪く救急搬送先が見つからなければ助からない。感染症で院内感染や満床になり病院では救急搬送を断るケースが増えているという。

卒業旅行

社会人になったら自由に行けないからと世界中に若者が出かけていた。まだ感染が広がっていない地域に行き中国人と間違えられ「武漢出ていけ」と罵られ帰国すると感染を疑われ2週間の待機を命ぜられるが守らず出歩き感染を広げていた。自分には関係ないから無症状だから‥。

三連休

今年は早く桜が咲き始め三連休お外だし(立ち止まらないように)お花見するのは良いことだとニュースで言ってしまったために多くの人が花見にこぞって出かけ桜の下に行列ができてしまった。これはまずいと気がついた時には遅かった。県外にこぞって花見に行ってしまうということまで考えなかったらしい。桜には罪は無い。

歓送迎会

職場の歓送迎会または卒業生のお別れ会。食事をしながら楽しかった思い出を存分に酒を交えて会話した。先のことが見えていなかったという理由は通用しない。若い人は感染しても無症状か軽症だから自分は大丈夫という過信か?「やめようよ」という声が通らなかったのか?

緊急事態宣言

海外で鉄道も止まり都市封鎖が命じられ食品を買い求める人たちが店に押し掛けるそんな光景をテレビで見ているので 普通に買い物に行って公園にお散歩に行っても良い罰金もない緊急事態宣言は初めの頃効果が薄かった。テレワークが叫ばれてもできる業種とできない業種があり会社の規模によっては8割減らせと言われてもできないところは多々あるという。2週間以上経過して報道もやっと具体的なわかりやすい説明も出て来た。素朴な疑問「いつまで続くのか?」については誰も答えられない。

パチンコ屋

密になるからと言っても営業をやめないパチンコ屋。名指しで営業停止を言われても逆にその店に集まる客。遠く県外から営業していることを聞きつけ車でやってくるパチンコ依存症の客。「俺は大丈夫だから」という確信に満ちた言葉でインタビューに答える。何もすることがないと不安だから来てしまうという本当の自分が見えていないのが依存症だという解説。

ゴミ出し

断捨離暇だから片付け。子供たちが学校へ行けないから散らかっている部屋をこの際片付け。考えることはどこの家庭でも同じ。ゴミがたくさん出すぎて環境事業局でも対策で人を減らしているので対応できないという回覧が回って来た。

体温計

テレワークがあったり働き方も変わって来た。職場へ行くのに体温計がいる「買って来てくれ」と家族がいう。もうずっと店頭で体温計は見かけていない。体温計に入れ替える電池もないとのことだ。昔子供が学校でプールの日に使っていたものを探し出す。かろうじて動いているがいつ電池が終わるともつかない。買い物ついでに売り場を覗く体温計には出会わないがたまたま電池が1つ売り場にあったので買って帰った。サイズが合うか体温計の電池部開けてみたら同じものだとわかりホッとしたのもつかの間そのまま蓋をしたら二度と動かない。ちょうど電池が寿命だったらしい。新しい電池が即刻役にたった。

自宅療養

「熱が出始めたら4日間家で様子を見てください。」この言葉で亡くなった人がいる。また「感染が分かっても軽症だから無症状だから自宅にいてください。」これでまた家族感染を引き起こす。医療を受ける機会を奪われて突然の変調に対応できないまま亡くなる。犠牲者が出てやっとホテルなど宿泊療養の道が開けた。

病院受け入れ

おすもうさんが亡くなった。28歳という若さで。電話をかけっぱなしでも繋がらず受け入れ先の病院がないまま悪化し ようやく救急車で入院したが手におえない状況で転院。闘病中どんなに苦しかっただろうか4月の初めに熱が出てひと月と10日ほどで亡くなった。

一般の人には門戸が空かない医療。入院や療養施設(ホテル等)に入れて健康観察をしてもらえると安心していたらとんでもないようだ。自分の身は自分で守る。運悪く症状が出たら電話にしがみついてもダメのようだがどうしたら良いものなのかまったくわからないまま何かに騙されている。

自分はもう罹ったと思う病

一度かかってしまえばもう大丈夫。そういう風に思いたい気持ちが少し前の自分の風邪のような症状をあれはコロナだったのでは?いやコロナだったに違いない そういう風に自分はもう罹ったから大丈夫と思いたい気持ちが危険だと言われ始めている。もしこれが2度目にかかった人は症状が必ず重く出るという風だったら誰もそうは言わないのだろうけれど。

自粛疲れ

緊急事態宣言が出る前も体育館は閉鎖されバドミントンはできなかった。だからもし残された1都1道3県来週解除になってもすぐに体育館が使えるかと言ったらそういうわけではないのだと思う。社会的に開放していく順番があるし密になる空間のことだから簡単に「どうぞ~」と言われても困る。接触スポーツではないが狭いコートで運動量はけっこう激しい部類なので後回しかな?体育館が空いた時に種目別で許可がされることもあるのではないかと思うが実際そこまでスポーツ協会なり競技団体なりが考えているかと言えば あまり聞こえてこない。

自粛疲れが言われてだからと言ってその重圧から早く開けてそのまま丸投げされた状態で利用者に任せて良いものなのか?闘いはまだまだ長いと思うので慎重になって欲しい。

体育館

バドミントンは体育館という閉鎖された空間で競技が行われるスポーツである。ほんの少しの微妙な対流や空調の影響でゲームが左右されてしまう。それはシャトルという5gに満たない球技種目では卓球とともに軽いモノを打ち合う競技だからどうしようもないことなのだが その体育館が密集密閉で閉鎖されてしまった。

3月3日から初めは2週間と言われたがさらに2週間延長またさらに延長‥そうこうしているうちに緊急事態宣言が第一段大都市を抱える感染者数の多い県に そして大型連休で人が移動しないように第二段全国に広がり閉鎖はさらにひと月延長。現時点でも3月3日から5月6日ふた月を超える。断言していえることはこれはまだまだ続くので半年~年 もしかすると2,3年とも言われまったく先の見えない状況になっている。

公園

公園ですら集うことは許可されない。場所によっては閉鎖されている。密にならず距離を取ってマスクを着用し専有使用にならない範囲で実施しているグループは他にもありその範囲内で身体を動かす。かろうじてそれができている私たちは大変幸せ者だという自覚を持ちありがたいと思って続けている。

なんのために。

 

出口のないトンネル

出口のないトンネルは無い やまない雨は無い 夜は必ず明ける。本当か?

学校

不登校だった息子今はパートながらしっかり働く社会人になってスーパーの品ぞろえに日々貢献している。学校に行かない日々を子供と一緒に過ごし子供が学校に行かないという現状にどう見切りをつけて自分のことを大事にするのか?今多くの親がそのことで頭を痛めていると思う。今はみんな学校に行っていない 家庭学習の環境差はあるにしても学習は進んでいない。自分の子供だけが学校に行けない行かせることができない親の苦しみはわからないだろう。それでも子供が学校に行かない事での不安については多かれ少なかれ不登校と共通のものがあるかもしれない。学校がすべてではない。命あれば生きていける。

ワクチン

ワクチンができれば社会の機能を戻すことができる と言われている。医療従事者や介護の担当者 社会的に要職についている人などがワクチン接種で新型肺炎にかからないようにできれば院内感染による病院機能の停止などが起こりにくくなり結果社会の機能が維持されるということなのだと思うが 説明が足りない。全国民(世界中の人々)がワクチンをうってもらえると思っている人も多いと思う。インフルエンザだって足りなくって希望者全員に行きわたらない年もあった。すぐに全世界を救うことにはならないのだと説明してほしいが専門家は言わない政治屋も言わない。 

 

抗原検査

PCRより早く結果がわかる検査が承認される。これですくわれる命が増えると良いがこれもまた受けられるのは選ばれた人たちのようだ。

不安

今まで作り上げてきたものが 今までつなぎ合わせてきたものが 大切にしてきた人とのつながりが 切れてしまう。時間とともにすべてが失われてしまう 足元の砂が崩れるように自分の立っている台地が無になる恐怖。手を伸ばして触ることすら今は密接 だから禁。

自分が感染者なのか 周りが感染者なのか それすらもはっきりしない。

朝のお茶

朝お茶で味と香りを確かめる。検温より大事かもしれない。インフルエンザの流行は終わった。インフルエンザだって肺炎で毎年たくさんの人が亡くなっている。持病のあるない・年齢体力が生死の分かれ目なのはインフルエンザも同じ。健康を保つための営みをどれだけ続けられるのかこのコロナ禍で実行し続けることの大切さを想う。


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