20周年

まだ その頃は介護保険などの制度は無く 介護保険を見越してはじめられた業者さんをうまく利用ができただけ 来ていただいたヘルパーさんは とても良い方でした(^_-)-☆

左手で上手くは出来なかったけれど 一週間のうちバドミントンをしてシャトルを追いかけているたった少しの時間だけ 家庭のどさくさを忘れて汗をかけました。そして 次の一週間を生き延びる糧となりました。

痛くて字も書けなかった右手が 7回ほど通ったら痛みが減り ラケットを持っても振らなければ大丈夫なくらいになってきました。でも ラケットは振ってはじめてラケットです。そっとサーブを出してみましたが ラケットは床に落っこちてしまいました。

でも 自分で「これは治る」と確信できました。

その月のうちに 右でも左でも持ち替えながらのバドミントンをするようになりました。ラケットは時々宙を飛んでしまいました。

5000円払って一回のバドミントン。もちろん参加費交通費はまた別。そのうちに旦那から週2回の許可が出て 月に4万円払ってバドミントンを続けていました。そんな生活が2年半ほど続き 旦那がついに決断して お母様がナーシングホームに入居することになり 自宅での介護は終わりました。

旦那も辛かったんだろうということは 今はわかります。プライドもあったと思うし 学校関係者として不登校に向き合うには距離が近すぎました。

息子は 中学生に 娘は高校生になりました。

本格的に 私のバドミントンが始動しました。その年に結成したサークルは 今年20周年を迎えました。